いじめている者にとって

子どもは自信を得ることができるのです。

子どもに責任を持つのが当然である。ただそれを親のほうで性別によって分けることだけはやめたほうがいい。あらかじめ男だから女だからと分けてしまうのと、やってみた結果として、この子には向かなかった、適性外れだったというのとは全然違うということです。
女性の社会進出が進み、ジェンダー的な差別に対しての意識は高くなってきましたが依然として母親たちは、娘には何か家のことを教えたい、息子には教えなくてもいいということが多いでしょう。男の子にはサッカーとか少年野球とか、何か他のことをさせたがりますね。しかし、そういうことが将来子育てに参画しない父親を再生産することにつな
がるんだという、痛切な反省と自覚を持ってもらいたい結局、男の子は外で元気に遊べと言っていると、それが平行移動していって、やがて男は外で元気に働けという形になり、何も変わらないですから、私はいつも言っているのですが、女の子は雄々しく、男の子は女々しく育てるべきだと思うのです。
勉強しているこどもは不自然な記憶をしいられる。

父親の武勲を称える

じっさいに私自身その方針で子どもたちを育ててきました。つまり男女が調和して社会を作っていくという時代、そんなふうにするくらいでちょうどいいんです。
家庭における父親の存在プレゼンス私の父は、本質的にはあまり家庭的な人ではありませんでした。むしろ仕事人間で、子どもと遊ぶなんてことは皆無でしたが、ただ家にいる時は、ともかく世界をまたにかけた珍しく面白い話を聞かせてくれる。それが子どもたちにとっては、大きな愉しみになっていました。母さんも多くおいでになりますがわからない存在。

練習をさせることを試みた。


そういうところに、父独自の存在感があって、今から思うと、キャッチボールも遊園地も無縁の父ではあったけれど、私たちの心の中の存在感は決して小さなものではありませんでした父は、八十五歳になった今もすこぶる元気で、相変わらず愉快な話をしては人を楽しませることを以て自らの楽しみとしているような感じです。といっても、決してくだらない駄洒落の類いを発するのではなくて、もっと真面目な内容のある話をする。だけれど、それが天性のユーモアに彩られているとでも申しましょうか。こうしたユーモアがまた、父の長寿健康の秘訣なのかもしれません。
ともあれ、父親の存在によって、家の中にインテリジェンスが満ちていて、なおかつ楽しく明るいというのは、子どもが育っていく上でとても大切なことだと私は思います。
父親が外で働く時間が増えそのギャップを埋めるため

子どもの心に育つにはどうしても実践が必要です。

しつけはどれも文化に根づい
一方、ともかく真面目一方の家庭に育った私の凄は、たとえば写真を撮ったりする時にちょっとでもふざけたりすると、必ずふざけてはいけませんと叱られたそうです。逆に私は子どもの頃から、自由にふざけながら育ってきました。もっとも、時どき調子に乗りすぎて、こらっ、またお調子に乗って!とたしなめられたことはあるけれど、その頃の写真を見ても、真面目な顔のものはほとんどない。何かこう人を喜ばせたくてしょうがない子どもでした。それが結局、現在につながるセンス·オブ·ヒューモアの源泉にもなっていたと思います。
そうすると、私の感覚の中では、家庭の中で愉快に自由に過ごすということこそ最大の娯楽という感じがしていて、結局自分が親になった時も、原則はそういうことに落ち着いたように思います休日の過ごし方でも、別にどこかへ行かなくてもいいわけです。
幼稚園へお入りになること自体が初めて

子育てがはるかに大切になってきます。

何か面白おかしい話でもしているっていうのが一番楽しい。
となると、家でだらだらしながら、しかし、まあ人並みに、春休みだから伊豆あたりへ出かけようかというようなことで、温泉旅館に泊まったりは、以前はよくしました。ところが、温泉旅館なんかだと、何かこう身の置き場所がなくって、どこへ座っていいやら落ち着かない。まだ食べたくない時間に夕食が出たり、朝はもっとだらだらしていたいのに、どんどん布団を畳まれたり、いろいろと居心地の悪さを感じてしまうんですね。
しまいには、伊豆にいたって特に行きたい所もないし、人込みは嫌だし、とうとうそこらの公営駐車場に車を停めて、近くのマクドナルドで買ったハンバーガーを車の中で齧って、海岸のあたりを少々散歩して、ほかにやることもないので帰って来たなんてこともありました。
高校その次

子どもと遊ぶことによっていろいろ

子どもは良質の文化に触れる機会が少ない。
こういう経験のしからしむるところ、今でも原則的には、家族でどこかへ出かけて何か
イベントをやるということはなく、それより何より日常を愉快に暮らすってことを心がけてきました。結局それが一番楽しいと思うからです。
イギリスから帰省した子どもたちも、ひたすら一日中パジャマのままぼんやりしているとか、ぺちゃくちゃと他愛ないおしゃべりをするとか、そんなものです。久しぶりに家族が揃ったから、さっそくひとつ、どこか旅行にでも出かけようか、という話にはあまりなりません。
別に何をしなくても楽しい。そういう家庭を経営するということは親の責任です。そこからすべてが生まれていく。教育というのは、そこから始まるのではないかということです。何も教訓を垂れたりするのではなくて、ほら、楽しいでしょ?