勉強しながらその先の進路

母さんね今日こんなことがあったのよ。

ただ、性差というものは厳然と存在すると思います。男女の差は女が子どもを産むということだけで、それ以外には何もないと言う女性がよくいますが、私に言わせれば、すべての性差はそこから出発するのです。差別と区別は違うのです。差別はいけないが、区別をする必要はあるのではないでしょうか。
男には男らしいところがあってほしいと思います。それは決して、荒々しさや猛々しさを言うのでもなく、家事や育児に参加しないというのでもないのです。言葉ではうまく表現できない性的魅力を持ってほしいと思います。いい男は、みな想像力に富んでいるのですそして女性には、女性らしい奥ゆかしさを持ってほしいのです。子どもは、母親の奥ゆかしさにふれて、心豊かに育つのです。

母親の作文の選者になりこの年月何百編

奥ゆかしさとは何なのか、抽象的な言葉ではうまく表現できませんが、たとえば、藤沢周平氏描くところの女性たち、そして、幸田文さんの一連の小説に表現される女性たち、とでも言えましょうか。そこには良質な羞恥心が見え隠れしています。
落合恵子さんは
「江戸の女というと、つい耐える女をイメージしてしまうが、彼女たちは決してそうではない。武家の女も市井の女も、受け身ではない。むしろ自分の人生を自分で引き受けようとする、背筋のすっと伸びた女たちのように思う」
と、藤沢周平氏の時代小説に登場する女性たちの魅力を語っています母親が幸せならば、子どもは非行に走らない俗にほめ育てという言葉があります。

 

子どもと大人の区別

先生が着目してくれるようになった…い子供に見せては困るような記事がたくさんある。

ほめられて育った子どもは、悪への誘惑に乗らないし、能力も最大限伸ばすことができるというのです。たしかに、けなされて欠点ばかり指摘されたら、子どもはくさってしまいます。どうせ自分なんかいないほうがいい.そのほうがお母さんは幸せなんだ、などと思ってしまいます。けなされて、発奮して、頑張ろうと考える子どもはほとんどいないと言っていいのです子どもが死にたいという気持ちになるのは、ほとんどの場合、自分を必要としてくれている人間は、この世の中にひとりもいないのだという、寂しさから発しています。

母親が勝手お父さんもお母さんも、自分がいなくても少しも困らないようだし、学校ではみんなに邪魔にされるし、自分なんかいなくても、という気持ちになったとき、子どもはいとも簡単に死を選ぶのです。
子どもに自分を好きかとたずねたら、大部分の子どもが嫌いだと答えたという調査結果があります。だから母親は子どもに、本当にあなたを必要としているということ、あなたが大事だということ、あなたがいなければ生きていけないということ、そして何よりも
あなたみたいないい子がいて幸せだということをわからせてやらなければなりません。
大部分の子どもが自分を嫌いになるのはなぜかと言えば、母親が不満ばかりを持っていて、幸せだとはどうしても思えないからです。子どもに不満を持つ母親は、頭の中に理想の子ども像を描いていることが多いものです。勉強ができて、スポーツが万能で、活発で元気がよくて、とエスカレートするばかりですそれでは、現実の子どもはついていけません。
教育修了後は高等
教育修了後は高等

母親は話しかけていることになる

母様あるい母親は、理想からほど遠いかのように見える子どもを前にしていらつき、小言ばかり言います。ひどい場合になると、おまえみたいな子どもがいるから、お母さんは少しも幸せではない、などということまで口走ります。
子どもも、母親の頭の中で理想化された子ども像と、現実の自分との落差に悩みます。
そこで、気持ちの発散場所を求めて、盛り場などをさまようようになります。そこに巧みにつけ込むのが、町にたむろする、いわゆるお兄さんたちです。彼らは概して優しく、家でばか呼ばわりされている自分を認めてくれるのです。
そういうところに居場所をだから、見つけるのです。

先生たちは生徒の目と耳をひきつけるため

それもやはり、家庭にも学校にも居場所をなくした子どもたちは、テレクラなども、最近では中学生から小学生にまで広がっていますが心が満たされない少女たちがいかに多いかという証明ではないでしょうか。
ただし、ほめ言葉にもいろいろあることをつけ加えておきます。
役所に勤めているある女性の話です。
次に紹介するのは、市ある日、窓口に耳の不自由な人がやってきました。忙しい最中だったので、筆談でゆっくり応対できる人間もいませんでした。みなが困惑しているなかで、彼女は昔少々かじったことのある手話をためしてみました。子どもがいえば


子供に見せては困るような記事がたくさんある。 先生も鉛筆の先を尖らすなと教える。 子どもに実施してみたことがあります。