母さんも一緒にお詫びしてあげる

中学生になったら音楽に夢中になったのだ。

もっともこれは、本や友人や先生といった、多感な学生時代のめぐり合いによってだいぶ左右されますが、世の中は父性を中心とした社会として成り立ってきた関係から、父親の存在をまったく無視することはできません。しかし、食べ物の好みや人の好き嫌い、クセや目つきといった内面的·人格的な部分では、母親の影響が圧倒的に大きくなります父親とのかかわりを相対的であるとすれば、母親とのかかわりは、へその緒でつながっていたことからくる絶対性によって導かれるものです。
そうなると、まだ赤ちゃんだからまだおなかの中だからと言って、母親はのんびと構えてはいられません。いい子に育ち、将来立派な人間に成長してもらうことを願うならば、子どもがおなかの中にいるときから教育を始めなければならないのです。

子どもを連れて行って

といっ
ても、むずかしいことはひとつもありません。子どもに願う理想像を考え、そのように成長してくれることを祈り、おなかの子どもに語りかければいいのですいい世の中をつくる人になってね
どんなことにもへこたれない、辛抱強い人になるんですよ
「思いやりのある人が、お母さん、好きなんだ。だからそういう人になるのよ」
このような言葉を、おなかをなでさすりながら、繰り返し繰り返し語りかけてやり、自分でも本当にそうなってもらいたいと祈りつづけると、へその緒を通じて、その願いが子どもに伝わっていきます。

 

父親が何を言いたかったのかずいぶん考えた。

子どもの親ですよ。いじめっ子相手にけんかすることはおろかしい

その意味では、母親は、自分の理想とする人間をつくり出せる革命家と言っていいかもしれません。
母親は子どもの運命形成、人格形成、そして人間形成において、かなり大きな役割を担っています。このことを、すべての母親は忘れないでもらいたいと思います。そして、おなかの中の子どもを大事にしてほしいのです。
殴りかかる息子に合掌した母親の話まったく知らない女性から電話がかかってきました。
「自殺し明け方まで続きました。
そ深夜のことです。
内容はたい」
ということでした。
顔も知らぬ同士の対話でしたが、延々、苦悶の声が私の心に突きささり·とにもかくにもお会いしてみました。
一睡もせずの翌日の仕事はしんどかったのですが、のことにとりつかれていました。
仕事が終わって、頭髪はまっ白で、この事件が起きてからそうなったといいます。

子どもにとって怖い血色はなく、底知れず青白い、地獄そのものの顔でした。人間とはここまで悩むことがあり、また悩まされても生きていける存在なのだろうか、とさえ思われました。落ちくぼんだ目、やせこけた頬肉の落ちた肩、まっすぐ正視することは、私にとって大変忍耐を要しました。かわいそうで、涙があふれて仕方がありませんでした。
中学生の息子が、高校進学目前なのに登校拒否をし、釣りに行ってしまう。帰ってくると暴れ狂い、彼女が注意すると、殴る蹴るの乱暴を働くのだといいます。父親は単身赴任で地方にいて、月に一度帰宅するだけです。子どものために、仕事を変えてでも帰ってきてほしいと哀願しているが、それもかなわないそうです。息子の荒れ方はエスカレートする一方です。
子どもであれば親の言うなりになってしまいます。
子どもであれば親の言うなりになってしまいます。

子どものためにとくに扱い

伸ばそのような慶應に私最近では殺意さえ感じることもあり、いつか殺されるだろうと語ります。その前に息子を殺して、自分も死にたいと泣き叫ぶのでした。
私は少年に会いたいとお願いしましたが、どんな手をつくしても一時だけのものでしかないと彼女は言います。息子は、そんな知らない先公に会えるかよということで、絶対に会わないと言い張っていたそうです。
八方ふさがりの状態に追い込まれましたが、一旦かかわった私に、逃げることは許されませんでした。貧弱ではあっても、自らの五十年間の全人生をぶつけるしかない、と腹をくくりました。
「お母さん、息子さんに殴られるとき、どういうお顔をされるのですか」
目をむき出して抵抗しますよ

息子さんは、それに対してええ、ますます、牙をむいてきます
「お母さんはその息子さんが、ぜんぜんいい方向に変わらないので、死ぬほど苦しんでいるんですね……」

子どもはそれらを大切にしません。

下の娘はいい子だし、どこにあるんでしょうね……
私は幸福なんです

息子さんの幸福って、

あんな子どもの幸福なんてわかりません……小さいお子さんのときは、どうでした?

小さいときはいい子でしたいつごろから曲がってしまったのですか?
中学校へ入ってからです。勉強でつまずきだしてからです
「わかりました。でもお母さん、息子さんの幸福を知らないお母さんでいいのでしょうか」

人間の生きる目的は、幸福の追求ですよね……
息子さん、かわいくないですか……
昔はかわいかったですが……なぜそれが……

お母さん、本気でそう思ってはいらっしゃらないでしょうが、息子さえいなければっていうお気持ちがあるうちは、絶対にお子さんは変わらないと思います。子どもが夢精


いじめっ子相手にけんかすることはおろかしい ギター教室に子供と一緒に行く 勉強しながらその先の進路

学校の責任にすることができる。

しつけていいかわからないと嘆く背後

子供にいい番組でないとご判断されたとき
父親に反発しっつ

氏はこの話を発端にして、独自の教育論を述べました森氏は、教育こそ、指導要領に検定教科書と、規制の世界であり、教科書批判も、ともするとよい教科書を与えましょう運動になって、教科書依存体質を強化しかねないのが困ると言います
いい教科書でなくても、教科書を批判できる力をつけることが大事なはずである。戦時中だって、リベラルな学校は、時局がら言えなかったり書けなかったりのぶんは、自分たちで勝手にさがしてきた本で補ったものだそして、いじめ問題にも言及し「自由と寛容がないから、いじめは起こるのであって、いじめ文化の元凶だと考えている」
みんな仲間というのは、むしろと語っています。
おっしゃることに一理あると思います。子どもがけんかをしていると、やめなさい。みんな仲間でしょうと言う親はけっこう多いようです。しかし、仲間だからこそ、悪いところ、変わったところを直してやろうというのが、いじめの発端になっているという事実もあるでしょう。いじめているという感覚はないのですから、いじめは跡を絶たないことになります。
母さんも一緒にお詫びしてあげる

子どもの考える力や好奇心の芽

仲間であること、つまり同じであること異質でないことがいいことだという考え方が、いじめの根底にあるのです。
要するに、教師も親も社会も、自分の行動に責任が持てないから、規制されることを求めてしまうのです。決まった指導要領や教科書の枠から抜け出せない教師たちがいますいい学校に入るのがいちばん安心だからと、子どものお尻を叩く親がいます。そして、学閥や愛社精神で、滅私奉公を求める企業や社会があります息づまるような規制社会のなかで、子どもたちは、「おまえの点数はこのぐらいだから高校はここ、大学はこのへん、会社はまあこの程度には入れるかな」といった具合に、他人に決められた人生を歩んでしまいます。生活レベルまで決まってしまうのですから、恐
ろしいことですとこれではまるで、一億総奴隷化ではありませんか。

子どもがいるとすると一人はともすれば親

はい、はいと言われるままに屠殺場に引かれていく家畜のようです。わが子を、このような隷属的で無気力な人間にしないために、母親の役割は重大です。
「自分は、自己の努力とセンスと持ち味で、幸せや成功を勝ちとってみせる」
というような、たくましく勇敢な人間を育てなければいけないと思います。そのため母親は、従来の価値観にとらわれることなく、人の見方ではなく、自分の目と価値観と責任と感性で、わが子を見直してみてほしいのです。
前出の森氏はまた、こうも言います「性格にしろ、読んで学ぶ本にしろ、自己責任で選べたのは、昔のエリートの話だという考え方がある。たしかに自己責任というのは、エリートの定義のようなものだ。しかし、日本の経済的·文化的条件なら、ほとんどの人がエリートになってよい。そうならないのは規制に依存して、自己責任をとらぬ体質だけのことだろう」
この困った体質を改善する薬は、母親のもとにあるのではないでしょうか。
たとえば、多くの母親は、勉強に最高の価値を置いて、それ以外のものは子どもから遠ざけようとする傾向があります。しかし、そのような価値観をひっくり返すことで、たとえば子どもが夢中になる各種のゲームにも、自己責任を養う要素があることを知るでしょ子どもが熱中しているゲームを、親も一度やってみるといいでしょう。
子どもといっしょにいる時間が長い場合

子どもについて検討してみます

そのなかには自己責任が原則で、自助努力で生きるのだというストーリーが息づいていることに気づくはずです。いけない、いけないと言うから、子どもは何時間もの間、ゲーム機にしがみつきます。一時間ぐらいならやったほうがいいよと言えば、子どもは一時間でやめるものなのです。
過ぎる過ちに通じる過ぎたるは及ばざるがごとし
人が活動するあらゆる局面で、この格言は言いえて妙と感じることが多いのですが、子育てにおいても例外ではありません。親は子どものために一生懸命努力しますが、ついやリすぎて、かえって子どもをダメにすることが意外に多いのです子どもをダメにする六つの条件があります。それは、過保護、過放任、過支配、過服従過期待の五つのと、気分本位です。

子どもに培いたい。
学校を休む

勉強ができることも大事かもしれないけれど

学校も含めて人間の子どもは、生物学的に1年早く生まれると言ったのはポルトマンですが、たしかに生まれ落ちてから歩きはじめるまでの約一年の間、ほぼ全面的な保護、擁護を必要とします。母親は、授乳から排泄物の処理、お風呂、睡眠など、四六時中赤ちゃんのそばにっいて世話し、自分の寝る間も惜しんで献身的に面倒をみなければなりません。
そして子どもが成長するにつれて少しずつ手を離していき、子どもが自分で食事をとり身辺の処理ができるようにしつけていきます。
いじめっ子相手にけんかすることはおろかしい

勉強はできるほうではなかったけれど

子どもの発達に応じて、母子愛着から母子分離へと上手にひとり立ちできるよう、手助けしてやらなければならないのです手をかけながら放していく、この保護と放任の兼ね合いがむずかしいのです。思いき手をかけすぎて、子どもがひとりでは何もできなくしてしまうとか、手を離したら離しつばなし、という親がいます。また一方では、これをとり違えて、まだまだ保護が必要なのに放任してしまう親もいます。あるいは、親の手から離れて自立していかなければならない時期なのに、親のほうが子どもから離れられず、手をかけすぎる、という逆転現象もよ
く見られます。
まいますやりすぎや、時期をとり違えた過保護,過放任は、子どもをダメにしてし次に母親が間違うのは、子どもが自分で判断して決めなくてはならないところを、親が指図する過支配最近では、子どもの学校どころか、就職、結婚まで親が決めてしまうこともあるようです。

母さんって

子供の頑張りを認めてあげてほしいのです。

子供がほしいからと言ってぜ親
いじめるの?

は、母が子を思う心の原点である南アフリカ共和国の都市では、週末になると市内のどこかで決まってクラフト·マーケットが開かれているそうです。広場にテントを張り、手作りの衣類や陶器、嗜好品、革製品などが展示即売されるのですが、このマーケットでよく見かけるものがあるそうですシャモジをひと回り大きくしたような形をした木製品で、そのひらべったい部分に、TLOVEYOUと書いてあります。それは子どものしつけに厳しい家庭で、言うことを聞かない子どものお尻を叩くための棒なのです。
まさしく愛のムチというわけですが、これはなかなか名案だと思います。
体罰はもちろん、してはならない行為です。教育評論家でもある丸木政臣氏も、体罰でいいことはひとつもありません。恨みが残るだけですと語っています。実際、彼の関係する和光学園では、体罰事件が起きると、結果がどれほど些細なことだったとしても、学校全体の問題として解決に向かうそうです。
勉強しながらその先の進路

母子間の断絶を招いているのです宿題は教師

ささしかし、このシャモジを使っているかぎり、体罰にはならないのではないでしょうかこの文字は、叩く側の親に抑制と冷静さを与え、怒りにまかせてということもなくなるでしようし、叩かれる子どもの側も、親の愛を感じ、恨みを残すということもなくなるのではないでしょうか。言ってみれば、わが子にいい人間になってほしいという親の祈り、願いをもっていると思えるのです。
むしろ、町でよく見かける以下のような光景こそ、親に向かって説教したくなりますたとえば、スーパーやデパートで子どもが迷子になったとします。店内放送で駆けつけた母親は、ほっとして泣きだす子どもに、「だからそばを離れちゃダメと言ったでしょ。本当にあんたってばかなんだから」という言葉を投げつけます。
叩かないまでも、この母親は子どもに多大な言葉の暴力をふるったことになります。なぜ、しっかりと抱きしめてよかった、よかった、見ていなかったお母さんが悪かった
と言ってやれないのでしょう。
子どもを頭ごなしに怒鳴りつける母親は、大人と子どもとの身長の差、強者と弱者という立場の違いも忘れてしまっています。

子どもは年じゅう鼻水をたらしてい

子どもにとって母親は、巨人のように大きく、強いものなのです。そんな巨人から見下ろされて、頭の上から怒鳴られたら、たまりませんこのような母親は、子どもをみごもり、おなかの中で十カ月育てていたころのことを忘れてしまったのでしょうか。ある母親が「テレビドラマで、赤ちゃんができたというだけで万歳をする場面があるけれど、当の本人はけっこう複雑なんですよね。うれしさの反面、不安も人一倍なのですから」
見バ丶と言っていましたが、なるほどと思います。赤ちゃんができたと知ったときから、母親は、無事に誕生することを願って、祈って、祈りつづけて、その日を迎えるのではないでしょうか。子どもを怒鳴りつける前に、この祈りの気持ちを思い出してほしいのです。
そして大切なのは、それを子どもに伝えることです。あなたは、お母さんが祈って祈ってこの世に生まれてきた、素晴らしい宝物であるということ、そして、いつも何があってもお母さんは味方だということ、さらに、お母さんはあなたが素晴らしい大人になることを信じているということなどを伝えてほしいと思いますれらの愛情に包まれて育った子どもは、人間になっていくのです。
子どものやる気終業式の日

子どもにお菓子を選ばせる

向上心を持ち、自助努力のできる、自立したついでに言うなら、子どもに向かってばか!とは言わないほうがいいのです。危篤状態の犬を治療して救ってくれた獣医に、この犬はばか犬で……と言って、強くたしなめられたという知人がいます。その獣医は、西洋医学のほかに、気功などの東洋医学の勉強もしていて、その考えからすると、ばかという言葉にはマイナスの語調があるといいます母の祈りは、胎児のころから子どもに伝わっている今は昔と違って、胎教に対する考え方がずいぶん変化してきました。

学校での安心の支えですね。
先生は授業のときりっぱなことを言う

子どもの先輩

子どもと一人か二人研究も進み、今や胎教をしないお母さんはいないと言ってもいいぐらいです。
目も見えず、耳も聞こえず、また四肢の発達も未熟な胎児に、いくら言葉をかけて音楽を聴かせても、何の意味もないと考えたのは昔のこと。今は、胎児も五感を働かせながら必死になって外界との接触を図ろうとしていることが、科学的にも証明されています。
胎内観察は、とくにアメリカで進んでいます。これから生まれてくる子どもの性別もわかるので、生まれる前に名前をつけることも珍しくありません。そうなると、おなかの子どもに向かって
エリザベス、今日も元気なの2ジャック、そんなに暴れちゃダメよ
といった具合に、名前を呼びながら話しかけることもあるわけですそれをおなかの中の子どもは、ちゃんと聞いています。
子どもに教える

子供の頃からの信者で五人

その証拠に、生まれたばかりの子どものそばに父親と母親が立って、ふたりが子どもの名前を呼ぶと、子どもは母親の声に反応して、必ず母親のほうへ顔を向けるのだそうです。百人の子どもを実験すれば、百人とも例外なしという実験例が報告されているので、胎児がお母さんの声をしっかりと聞き分けていることは、ほとんど間違いありません。
考えてみれば、これはすごいことです。
おまえはいい子だいい子だとほめてあげると、胎児も喜んで、おなかをポンと蹴ってきます。何月何日に生まれておいでと繰り返していると、本当にその日に生まれてくる子どもも少なくないといいます。そうなると母親たるものは胎児を前にして、あまりいい加減なことはできないはずです子どもの思想形成においては、父親が大きく影響します。