子どものやる気終業式の日

父親の身体とともに同じ目線で空間を移動する。

学校とか学級
指導しますがす

これではまるで子どもの人格を無視していることになります。親が子どもに代わって決めるのではなく、子どもが自分で決められるよう、自立した人格として自分の道を選択できるように、親は育てる責任があるはずです。
実際に子育てに没頭しているときには、度を越しているかどうか、自分で見きわめるのはむずかしいのですが、子どもがあまりにも甘えて人に依存するようになってきたら、これは過保護かと疑ってみるべきです。また、親の決めたとおりにしかできないときも、同じことが言えます。
四つ目は、親は家来
子どもの言うことに何でも従ってしまう過服従。子どもはまるで王様
婆や。これでは結局、野放図で横暴な子どもに育ってしまいます。
で、五つ目の過期待とは、過剰期待のことで、たいていの親が陥りやすい、要注意事項です。
先生も鉛筆の先を尖らすなと教える。

学校で友だち

親というのは、つい自分の子どもの力を過大評価したり、自分ができなかったことを子どもに期待したりすることが多く、その結果、子どもの可能性をつぶしてしまうことがありますたとえば、子どもが望まないのに、おまえは東大に入れるんだから頑張れ、親の跡を継いで医者になれ、などと過剰な期待をかけることがあります。親は、本当に自分の子どもが見えているのでしょうか。親の見栄や面子にこだわりすぎてはいないでしょうか。
めんつもし子どもにそれだけの能力や適性がない場合、子どもに無意味な戦いを強いているわけだし、子どもに、ほかにやりたいことやほかの分野で優れた能力がある場合には、子どもの可能性や将来性の芽を摘みとることになります。そんな権限が親のどこにあるというのでしょうか。
期待はしてもよいが、決して押しつけず、できる親でなければならないのです子どもの真意を推し量りながら、自己抑制の子どもをダメにする六番目の条件として、気分本位があげられます。気分によって叱ったりほめたりすると、子どもは親を信じられなくなり、結局は社会的に人とつながっていけない、エゴイスティックな人間になりかねないということです。

成績は抜群だ

ひたむきに念じることの尊さ母の涙は、百万言より多くを語る現代の母親は、子育ての時間がありすぎるのか、こまかいことに気づきすぎるのか、小言が多いようです。子どもが悪いことをしたときなど、ガミガミと説教をしすぎて、かえって反発を買ってしまうのです。慢性的に叱ると、子どもは感覚がマヒして馬の耳に念仏状態となり、親の言うことを聞かなくなります。
世間話をしていて、たまたま母親にまつわる記憶や思い出を聞くと、母親に何を言われたかという思い出より、無言の教えのほうが強烈に残っているという人が多いものです。
たとえば、ある会社の社長は、小学校の入学式のあと、母に連れられて、母の友人の文房具店に寄ったときのことが忘れられないといいます。母と友人がお茶を飲みながら話している間に退屈した彼は、店の中をきょろきょろしていて、ふと真新しい鉛筆がほしくなり、思わず二、三本ポケットに入れてしまったのです。
ところが、子どもの浅はかさで、ポケットの端から鉛筆の先が見えていました。母はそれを見つけそれ、どうしたの?と聞きました。
母さんも一緒にお詫びしてあげる

母さん方はよく

あわてた彼は友だちからもらった
と見えすいた嘘をつきました。母の友人はいいのよ、あげるわよと言ってくれましたが、母はその鉛筆を返しました。
その帰り道、母はずっと無言でした。
頬を伝っていました。
そっと母の顔をうかがうと、なんと涙がひとすじふだんは楽しそうにいろいろ話をしてくれる母が、家路をたどる小一時間、ひとことも口をきかず悲しそうな顔をしていました。そのころ家は貧しく、たしかに新しいカバン鉛筆などそろわないものが多かったのです。それが悲しかったのか、盗みを働き、嘘をついた息子のことが悲しかったのかわかりません。しかし、子ども心に、母を悲しませて本当に悪いことをしたと思ったといいます。
母の語り、教えは、こういうことを言うのではないでしょうか。教えよう、教えようとするよりも、母の生き方の素直な反映、悲しみや喜びやうれしさの率直な表出には、母としての生き方の基準が、期せずして示されます。

母さんはノートを開いて聞きました。
父親が増加しました。

勉強を積んで最も本格的に。

子どもともほとんど遊んでやれません。一生懸命生きるからこそ生まれる涙、笑い、怒り、そういうものが、子どもの心を育てるのです。
作曲家の故·服部良一氏も、母の思い出を次のように語っています。
「父の作った玩具を、祭りや縁日に持っていって売るのが母の仕事だった。別段、母は売り声を出すのでもなく、言葉少なにお客の応対をしたり、玩具を動かしたり、釣り銭を数えたりしていた。まだ何もわからない僕は、別段、そんな商いが悲しいとも思わなかった。
しかし、母は生活のためとはいえ、小さい子どもと二人でこんな商売をするのが辛いらしく、人形を買っていく親子と対照的に何かみじめな思いがするのか、時には涙をそっと拭いていた。その母の横顔を見て、僕は無心に声をかけて慰めていた。子どものころは、案外そんな状況は感じとれるものらしい」
学校の責任にすることができる。

母はもちろん

女優、栗原小巻さんの父であり、日本児童演劇協会会長を務めた栗原-登氏は、父の事
業失敗後、野菜売りの行商を始めた母の思い出を、次のように語っています「栄養のたりなさからきたのであろうか、わたしの頭はフキデモノでいっぱいになり、母は貝入りのコウヤクを泣きながらなすってくれたものであった。いまでもわたしは、頭髪のしげみの中に天の川のように点在するハゲの小穴を時おりさすっては、泣いていた母親を思い出す。中略貧しくみじめな毎日であったが、暗い思い出はなかった。みじめさを感じさせない父と母のいたわりがあったのだろうかいずれの話でも、母親は何も語っていません。
えが、子どもを育てたのです説教もしていません。
涙という無言の教or祈り」