しつけが実を結んでくれる

子どもというのはかつていわれたよう

母を持たない
父親のことを言っている。

生きる
うえでの厳しさ、けじめの大切さ母親は子どもに渡る世間には鬼もいることをごまかさずに話せ渡る世間に鬼はないと言いますが、子どもをとりまく環境は、そうも言っていられないようですゆうかいオウム事件や池田小刺殺事件をあげるまでもなく、通り魔によって殺される子、誘拐犯によって連れ去られる子......。毒物をジュースのびんにつめて電話ボックスへ置く殺人鬼無差別殺人を企図する鬼、精神や感性を殺しにかかる精神公害……。
く環境に、はたしてはいないと言えるでしょうか。
0子どもたちをとりまテレビドラマのタイトルなみに渡る世間は鬼ばかりとは規定できないまでも、り鬼は厳然と存在すると、子どもに教えるべきなのでしょうか。
やは親の多くは、わが子を正義感の強い子にと祈ります。しかし、
正義の尺度は実にあいまいで、千差万別です。私は、生命の尊厳を守り発展させる立場と、犯し破壊する立場によって、正義かどうかを考えるようにしています。
母さんって

教育がある。

ある中学校の教師で、クラブ活動の鬼と言われる人がいました。
てめえ、何度言えばわかるんだといった言葉を、女生徒に浴びせかける。ひとかけらの温かみや包容もなく自己の弱さをさらけ出すこともない。そして力量のない子は、切り捨て主義で退部させる。
子どもや父母にとっては、一点の救いもありませんでした。
私は以前から、このような悪鬼は善鬼に変えるしかないと、訴えつづけてきました。
鬼を反面教師化する力のない者に、なんで善鬼から教訓を引き出すことができるか、と強く主張してきました。これに対して、私に相談に来た子どもたちは濤川先生の考えは理想論だと抵抗しました。が、私は一歩も退きませんでした。もがこうが、あがこうが悪鬼がそこにいる以上、逃げることはできません。

子どもがそうたかをくくってしまいます。

相手を変えるには、自分から変わるしかないというのが、私の教育の大鉄則ですその悪鬼先生が指導する部は、連戦連勝。ますます悪鬼性は硬直化、固定化してきます。
「今その先生にめぐり合うのは、きみにとって必要な困難なのかもしれない。運が悪い、ツイてないと嘆いているばかりでどうする。その先生で悩み、苦しみ、もがき抜くなかできみが内的陶冶されることがきみの発展に不可欠、と天が配剤したのかもしれない」
とう子どもたちにとって私の言動は、不条理のきわみに思えたかもしれません。
濤川も鬼と思ったかもしれません。しかし、この姿勢を確立させる以外に、この中学生を鍛え、磨く道はないと心に決めたのです。
嫌なら退部という方法もあるよと私は提案しましたが、どうしてもこのスポーツは続けたいとのことでした。
いじめっ子相手にけんかすることはおろかしい

学校で孤立していて

その一定の強さを持つ子どもたちを、もう一重、二重の強さを秘めた子どもたちに育てたいと思いました。
一年の月日が流れ、夏休みに子どもたちが訪ねてきてくれました。

退部したHを除いて、ぼくたちは結局、濤川先生の言うとおりにしました。
ましたけど、あの先生が変わりました一年間かかり
「そうか。でもその先生よりも、しれないよきみたちのほうがひと回りもふた回りも大きくなったかもこういう対話になりました。
ことでした退部したHの消息を聞くと、晴れ晴れとはしていないとのに会いにいくから」と私が言うと、近日中にここへ連れてくると言います。
精神的にたくましい変身をとげたように、私の目には映りました彼らがスポーツの練習などで、不条理をあげていったらきりがありません。サッカーのヘディングの練習でも、地をはうような球がきます。なぜこれを繰り返す必要があるのか。野球などでもそうです。私も高校時代に少々野球をやりましたが、雨の日、監督にグラウンドを走っていろとよく言われました。

子どもやその親のことを思っている教師
学校のノートなどを買うときはそのお金

学習するようになり全体

母を裏切るようなことはすまいと思ったものです。なぜ二十周とか三十周とか、言ってくれないのかこの鬼めと何回思ったことか。
ゴールがわからない練習ほど苦しく、嫌なものはありません。まったく不条理ですが結果的には、この不条理が後に生きました。その後の人生でのさまざまな挫折や苦悩もあの苦しみに比べたらと思うと、どうにか乗り越えられたのですざせつ不条理や鬼との遭遇は、人間として生きていくうえで無数に体験するでしょう。そのときにそれらを回避し、逃げようとするだけの姿勢の人間に、いつたい何ができるでしょうか。そこから出発して、生き生きと自己葛藤し、戦える自己をつくることが大切ですと同時に、いからこそ、くるのです。
子どものやる気終業式の日

母親がつねに肌を接していることによって

男の子にせよ女の子にせよ、父親とは違う母親の優しさ、こうした厳しい闘いをしていかなくてはならな温かさによるサポートや癒しが不可欠になってここぞと思うときは、威儀を正してビシッと話せここで、私の母親の話を紹介します。
私は小学生から中学生時代にかけて、かなりのガキ大将でした。
それがどれぐらいのものかというと、ことがありました。落ちている球を拾い集めてはじいたら、一万発以上の球が出てしまいそれを六人ほど引きつれていた仲間に分けてやり、すこぶる気分がよかったという記憶がありますまだ小学校四年のときに、当時できはじめたばかりのパチンコ屋に入っ六パチンコが、今のように家族連れでも遊べるような雰囲気のまったくない、ザが出入りする賭場という雰囲気が非常に強かった時代です不良やヤクとばかと思うと、いかだを作って石神井川に浮かべ、仲間を集めて海まで流れていったことがあります。