先生も鉛筆の先を尖らすなと教える。

父親の権威失墜という

因果といおうか、宿命みたいなものを感じます。栄ちゃんも。もし悪い宿命があるなら、たった今から
母はよく、そう語りました。そしてその打開と克服をめざす、たち姉弟にうながしていました。
生活のリズムの確立を私高校生だった私もアルバイトをやり、その収入を返済の足しにと母に渡していましたそのとき母は、必ず涙を流しました。
「栄ちゃんありがとう。お母さん絶対に忘れないからね。栄ちゃんの大好きなお寿司食べさせてあげたいけど、完済するまで待っててね。待つってことのできない人は、絶対に大成しないとお母さんは思うわ」
来る日も来る日も、じゃがいもとラーメンでした。
ごはんには、必ず麦が入っていまし六
麦が入っていないと、安らかな気持ちでごはんを食べることができない。人さまに迷惑をかけているんだから
お父さんの退院を、お母さんは待っているんです。

子どものレベルまで一度下りていき

栄ちゃんも何か大きな待つものを持ってねそんなことをよく言われました七年後、かなりの負債は、母の手で返済されました。
母の笑顔がその後、私の生きる意欲を呼び起こす、父は退院し、まぶしく感じられました。この期間の母のふんばりは、とつの心的原点になっています。
ひ亡くなるときも、母はこう言いました。

お母さんは、あなたのようないい子を持って幸せだった。
まれてきたい。ありがとう来世があるなら、また親子で生私は決していい子だったとは思いませんが、母のこの言葉と、つねづね言っていた「感謝のない人間は、絶対人間として伸びない。感謝の心は、人間である証です」のふたつは今も千金の重みをもって耳に残っています。
あかし母がもうひとつ偉かったと思うのは、借金で苦しんでいるときに、一度も父親の悪口を言わなかったことです。むしろ、ここまで育ててくれたお父さんの恩を忘れてはいけない忘れたら人間ではないと言いつづけました。自分の手柄は言い立てず、他人のために生きることが、自分の幸せに通じると信じていたのだと思います。

 

母親の見ているところ

教育することによっていい線にいくだろう子どものやる気終業式の日

そのような母の基本姿勢は、家族に対してだけではありませんでした。私が小学生のころ、母が当時ルンペンとか、お乞食さんとか呼ばれている人を、家に連れてきたことがあります。そして、垢でよごれたその人を、いちばん湯に入れてごはんを食べさせ、医者にみせて、半年間も面倒をみていたのです。別れのときにはお金を渡して、就職の世話までしてやったのです。臭いなどと言おうものなら、こっぴどく叱られたものですこじきあか私が今、多少なりとも、正義感とか、勇気とか、忍耐力といった、人間としての基本を身につけることができ、非行に走った少年少女たちに無関心でいられない感覚を持つことができたのは、このような、母の生きる姿勢があったからこそだと思えるのです。
母親の奥ゆかしさは、戦後強くなったのは女と靴下である、
言葉では伝わらない心の教育
ということがしきりに言われました。
私たちが小学生のころ、たものです。
ふたこと目には男女同権とわめいて得意になる女子生徒たちに悩まされ強くなった反面、女性らしい奥ゆかしさが失われた面もあるでしょうたしかに、戦後憲法で女性にも参政権が与えられたのは、いいことだと思います。

子供を起こすならまず自分が起きてください。男女を問わず、正義感や勇気は必要な要素だと思うし、生活のすべてにおいて、政治とかかわ
りのないものはないからです。就職における機会均等法
も、社会的に見て女性の地位が不当に低かったことを考えれば、当然の法律だし、願わくは、そのように明文化される必要もなくなるときが来てほしいものです。しかし、参政権や機会均等法が、女性らしい奥ゆかしさの喪失につながってはいけないと思います戦前の女性は、本当に弱かったのでしょうか。作家の田辺聖子さんは、いた祖父と祖母のことを、次のように語っています。
一緒に暮らして
祖父は一番威張っているようでありながら、子どもの私には、どうしてもそう見えなんだなぜかというと、祖父が寝てから、あるいは祖父の留守中、女たちは集まって祖父の悪口を言う。
子育てを支えてくれる人がそばにいてくれて密室
子育てを支えてくれる人がそばにいてくれて密室

母のよそして

子どもとともに悩み中略叔母たちの縁談のこと、叔父の仕事といった大きい問題から、町内の付き合い、親類のあしらい、家計の切り盛りから奉公人の手当て、食事の中味まで、実質的な決定は女の部屋でなされるのである。
祖母はへえ、へえと祖父に対して従順にみえながら、奥の間へくると
やれやれう狡猾な気分からではない。祖母の、祖父に対する態度は、昔ながらのかしずくというようなさまで言葉からして敬語を使っていたと祖父の言葉など歯牙にもかけぬ風である。

子どもへの注意の仕方

しかし、それは決して面従腹背といこうかつ祖父の仕事のことも私たちに誇らしげに語った。だから、決して祖父を軽んじていたわけではない。子どもの私はいつとなく、この世の中には、ふた通りの政府があるらしいと気づく。
祖父があるとき、何か失敗をしでかした記憶がある。女たちはおおげさにため息をついて、その修復を試みることになった。祖父も申し訳に、それを手伝おうとして手を出したするとたちまち、いっせいにたしなめる声があがった。女たちは快さそうに祖父を叱咤する。
もうよろし、手ェ出しなはんな.またこわさはるよってに、のきなはれ
任しなはれちゅうのに中略そういう気分を女たちに引き起こすのは、女の自信であろう。戦前の女は社会の暴圧に苦しんでいたように思われるけれども、案外、居場所はしたたかに占めていたのである
何度も言うようですが、私は決して、戦後の男女同権を否定しているのではありません人間としては、男も女もないと思っています。子どもを過保護に扱ったり溺愛します


子どものやる気終業式の日 しつけが実を結んでくれる 先生も鉛筆の先を尖らすなと教える。