母さんって

子供の頑張りを認めてあげてほしいのです。

子供がほしいからと言ってぜ親
いじめるの?

は、母が子を思う心の原点である南アフリカ共和国の都市では、週末になると市内のどこかで決まってクラフト·マーケットが開かれているそうです。広場にテントを張り、手作りの衣類や陶器、嗜好品、革製品などが展示即売されるのですが、このマーケットでよく見かけるものがあるそうですシャモジをひと回り大きくしたような形をした木製品で、そのひらべったい部分に、TLOVEYOUと書いてあります。それは子どものしつけに厳しい家庭で、言うことを聞かない子どものお尻を叩くための棒なのです。
まさしく愛のムチというわけですが、これはなかなか名案だと思います。
体罰はもちろん、してはならない行為です。教育評論家でもある丸木政臣氏も、体罰でいいことはひとつもありません。恨みが残るだけですと語っています。実際、彼の関係する和光学園では、体罰事件が起きると、結果がどれほど些細なことだったとしても、学校全体の問題として解決に向かうそうです。
勉強しながらその先の進路

母子間の断絶を招いているのです宿題は教師

ささしかし、このシャモジを使っているかぎり、体罰にはならないのではないでしょうかこの文字は、叩く側の親に抑制と冷静さを与え、怒りにまかせてということもなくなるでしようし、叩かれる子どもの側も、親の愛を感じ、恨みを残すということもなくなるのではないでしょうか。言ってみれば、わが子にいい人間になってほしいという親の祈り、願いをもっていると思えるのです。
むしろ、町でよく見かける以下のような光景こそ、親に向かって説教したくなりますたとえば、スーパーやデパートで子どもが迷子になったとします。店内放送で駆けつけた母親は、ほっとして泣きだす子どもに、「だからそばを離れちゃダメと言ったでしょ。本当にあんたってばかなんだから」という言葉を投げつけます。
叩かないまでも、この母親は子どもに多大な言葉の暴力をふるったことになります。なぜ、しっかりと抱きしめてよかった、よかった、見ていなかったお母さんが悪かった
と言ってやれないのでしょう。
子どもを頭ごなしに怒鳴りつける母親は、大人と子どもとの身長の差、強者と弱者という立場の違いも忘れてしまっています。

子どもは年じゅう鼻水をたらしてい

子どもにとって母親は、巨人のように大きく、強いものなのです。そんな巨人から見下ろされて、頭の上から怒鳴られたら、たまりませんこのような母親は、子どもをみごもり、おなかの中で十カ月育てていたころのことを忘れてしまったのでしょうか。ある母親が「テレビドラマで、赤ちゃんができたというだけで万歳をする場面があるけれど、当の本人はけっこう複雑なんですよね。うれしさの反面、不安も人一倍なのですから」
見バ丶と言っていましたが、なるほどと思います。赤ちゃんができたと知ったときから、母親は、無事に誕生することを願って、祈って、祈りつづけて、その日を迎えるのではないでしょうか。子どもを怒鳴りつける前に、この祈りの気持ちを思い出してほしいのです。
そして大切なのは、それを子どもに伝えることです。あなたは、お母さんが祈って祈ってこの世に生まれてきた、素晴らしい宝物であるということ、そして、いつも何があってもお母さんは味方だということ、さらに、お母さんはあなたが素晴らしい大人になることを信じているということなどを伝えてほしいと思いますれらの愛情に包まれて育った子どもは、人間になっていくのです。
子どものやる気終業式の日

子どもにお菓子を選ばせる

向上心を持ち、自助努力のできる、自立したついでに言うなら、子どもに向かってばか!とは言わないほうがいいのです。危篤状態の犬を治療して救ってくれた獣医に、この犬はばか犬で……と言って、強くたしなめられたという知人がいます。その獣医は、西洋医学のほかに、気功などの東洋医学の勉強もしていて、その考えからすると、ばかという言葉にはマイナスの語調があるといいます母の祈りは、胎児のころから子どもに伝わっている今は昔と違って、胎教に対する考え方がずいぶん変化してきました。

学校での安心の支えですね。
先生は授業のときりっぱなことを言う

子どもの先輩

子どもと一人か二人研究も進み、今や胎教をしないお母さんはいないと言ってもいいぐらいです。
目も見えず、耳も聞こえず、また四肢の発達も未熟な胎児に、いくら言葉をかけて音楽を聴かせても、何の意味もないと考えたのは昔のこと。今は、胎児も五感を働かせながら必死になって外界との接触を図ろうとしていることが、科学的にも証明されています。
胎内観察は、とくにアメリカで進んでいます。これから生まれてくる子どもの性別もわかるので、生まれる前に名前をつけることも珍しくありません。そうなると、おなかの子どもに向かって
エリザベス、今日も元気なの2ジャック、そんなに暴れちゃダメよ
といった具合に、名前を呼びながら話しかけることもあるわけですそれをおなかの中の子どもは、ちゃんと聞いています。
子どもに教える

子供の頃からの信者で五人

その証拠に、生まれたばかりの子どものそばに父親と母親が立って、ふたりが子どもの名前を呼ぶと、子どもは母親の声に反応して、必ず母親のほうへ顔を向けるのだそうです。百人の子どもを実験すれば、百人とも例外なしという実験例が報告されているので、胎児がお母さんの声をしっかりと聞き分けていることは、ほとんど間違いありません。
考えてみれば、これはすごいことです。
おまえはいい子だいい子だとほめてあげると、胎児も喜んで、おなかをポンと蹴ってきます。何月何日に生まれておいでと繰り返していると、本当にその日に生まれてくる子どもも少なくないといいます。そうなると母親たるものは胎児を前にして、あまりいい加減なことはできないはずです子どもの思想形成においては、父親が大きく影響します。

教育熱が高まっている

子供と一緒に考えてあげるのが親の役割なのです。

小学校低学年の発達過程
子どもを使うことができるという思想もありました。

家に帰ってきたのが、たしか夜中の二時か三時ごろでした。
中学生のときには、けんかが強かったせいか、決闘なんてこともやりました。いじめられている子を助けるために、竹刀を持った相手側十人に飛びかかっていって痛めつけたら今度は相手側が決闘を申し込んできました。場所は青山墓地。当時は石原裕次郎の錆びたナイフがはやった時代で、不良たちはチェーンを持ったり、ナイフを持ったりしていて、映画の主人公気どりでした。
しない当然、相手がそういう武器を持ってくることはわかっていたから、こちらも道場で空手を身につけ、長い棒を持って決闘場へと、ひとりで乗り込みました。
子どもといっしょにいる時間が長い場合

子どもに体得させるだけでなく

結果は、十人を叩きのめしたこちらの勝ち。以来、相手方との争いはまったくなくなりました。
こういうガキ大将だった私に、母親はどのような対処の仕方をしたか。まずパチンコの件では、私をこらしめるために、銀杏の木に縄で私をくくりつけようとしました。しかし小学生ながら相撲大会の中学の部で五人抜きしたぐらいの身体を持っていた私でしたからいちよう
なかなかくくりつけられずに、結局、母親はあきらめました。
「バクチだけはやっちゃいけない。おまえはのめり込む性質だから、と叱られた記憶があります。
博徒になっちやうよ」
いかだ下りのときには、夜中まで帰ってこない私を心配して、仏壇の前に正座しながら自分の寿命が短くなってもいいから息子だけは助けてと、手を合わせていたらしいのです。

子どもが叱られる

私が夜中にひょっこりと戻ってきたときには、叱りつけて殴りとばしたかったそうですが、そこをグッと我慢して、お帰りなさい、ジョン万次郎と言って、用意していた豚汁を出し、これを食べて寝なさい
そして決闘事件のときには、人との争いごとが大嫌いだった母親なのに、それは正当防衛だよとひとこと言って、あとは何事もなかったかのように平静を装っていました。
しかし、その母親に、一度だけ、本当に火の出るほど叱られたことがありました。母親が死ぬの生きるのと口にしながら私にすごんで見せたのは、後にも先にも、このときだけです中学三年のときに、私の仲間が万引きをして警察に呼ばれたことがありました。私の潔白は証明されましたが、母親はなぜか許してくれません。
「友だちの万引きを止めなかったのは、おまえも万引きをしたのと同じこと。おまえは友だちが罪を犯すのを黙って放置しておくのか。自分さえ無傷ならそれでいいというのではあまりにも友情を欠く。一時間後に私のところに来なさい」
そう言われて部屋へ入ると、そこには白装束姿の母親が、濤川家伝来の短刀を前にして姿勢正しく正座していたのです。
子供に多少の教科の好き嫌いがあると思います。

学校があらわれまたたくーに天下を風靡した。

そして、こんなことを言いました。
「おまえの行為は母親として耐えられない。一度は許すが、二度とやらないでほしい。この気持ちがわからないようなら、私はここで喉を突いて死ぬ」
のたぶん母親は、万引きの一件よりも、私のいい加減な生き方が嫌でこのような行動に出たのでしょう。家のものを片っ端から持ち出してはお金に換えて、仲間におごり歩いて悦に入っている姿。お人好しで主体性がなく、目的意識も持たずにフラフラしている姿。これに母は耐えきれなかったのだと思います。以来、私は速読ではありますが、一日に五十冊以上の本を読破するぐらいに、ガラリと人間が変わったのです。

父親に芽生えた。
母親が言うのにかぶせる

中学は非行歴の多い子が多くてもう一方

父親が殺しかしする。母親は、子どもの先生のいいところをほめること今は、価値観が多様化している時代であり、昔価値があったものが見向きもされなくなったり、あるいは
こんなものが?と思えることに価値を見出したりしています。とくに若い人たちの価値観の多様性には驚くばかりで、大人は合わせるチャンネルをいくつ持っていても足りないし、追いつけないでいるのが現状でしょう。
勉強はそれほどできなくても、愛情が豊かで、まじめで、働き者であれば、まずは生きていくことはできます。それで子どもが満足するならば、親も満足すればいいはずなのに、一元的価値観でしか子どもを評価できない親は、勉強一辺倒で子どもの尻を叩きまくるわけです。これでは伸びるものも伸びなくなってしまいます。
不思議なもので、おまえは働き者だね。それだけで将来、ごはんが食べられるよと勤勉さをほめてあげると、勉強のほうも伸びていきます。
母さんって

母さんはチラシを広げて

反対におまえは勉強ができないで、困った子だねえと弱点を言いつのられると、勉強がもっとできなくなるばかりか豊かだった愛情や勤勉さまでが薄れていくものです。
だから子どもは、ほめて励ましてやらないといけません。欠点のみの子どもなどいるはずはないのですから、どこか長所を見つけて、その優れた部分をほめてあげるのです。す
ると子どもは、成長する芽に水を得たように、どんどん伸びていきます。それなのに、親が阻害要因になって芽を摘むようなことをしたのでは、子どもはたまったものではありま戦後五十余年の学歴社会のひずみゆえでしょうか、高学歴を誇る母親のなかに、子どもの担任の先生の学歴を調べて、先生をことさらおとしめる母親がいるのは、哀しいことです自分は四年制の有名大学出身。